私たちは時代より空間のなかに生きている
広告代理店はリア充が多すぎてインターネットに生きてないのでこれからのIT時代の企画出しと乖離してる問題。
— なつよ (@chinshonatsuyo) 2018年8月5日
「デザイナー」という職種1つとってもUIやUX基準じゃなく紙媒体の色校を永遠としてたり、忙しさでそれが問題だと気づかなくなってくる。採用基準から変えないと本当にやばい業界だと思う。
って本当なんだろうか。
先日、友人が書いた記事を引用したツイートが、少しだけいつもより多くの反応を得ていた。
「僕のまわりでEXILE系のグループのファンだと公言している人は一人もいない。僕は顔が広い方だと思ってるけど、世の中にたくさんいるはずのEXILE系グループのファンは一体どこにいるのかわからない。」https://t.co/LlelNTDk9D
— のむら (@tkfmnomura) 2018年8月4日
エリート層と『EXILE問題』と題されたその記事は、高学歴な仲間たちとのカラオケで誰一人としてエグザイルを歌っていなかったことに端を発する。
彼の端的な指摘は、自分の感覚とも合致する。
いま自分の周りにいる人たちは、誰一人としてエグザイルを聴いていない。
自分も含めてカギカッコつきでエグザイルまたはLDHグループを語る。
でも実は、そんな自分もエグザイルを聴いていた時代があった。
郊外の公立小中学校で過ごした9年間。
少し色気づき始めた小学校高学年から中学校にかけて、ちょうどエグザイルはTAKAHIROが加入して第二章(さっき調べてそう言うことを知った)がはじまった頃だった。
「女王の教室」が流行っていたころで、合唱曲で「道」が歌われたりしたころ。
JPOPの一部としてエグザイルを聴いていたし、カラオケでもよく歌っていた。
Lovers Againは持ち曲としていつか女子の前でかっこよく歌うことを楽しみにしていた気がする。
ついぞその目論見は叶わず、高校は公立の進学校に進み、エグザイルとは少しずつ何となく「ダサい」ものとして距離を置くようになった。
AKB48の出始めでまだ「オタク的」と市民権を得ず、iPhone3Gを持っていたクラスメイトは「なんか変なやつ」と評され、音楽好きといえばとりあえず東京事変は聴いていたような時代と空間だった。
話は変わるが、この間久々に地元の友だちを散歩をしていたとき、
彼女がWebで検索するときにヤフーを開いていて驚いたことを思い出す。
最近「ヤフーって誰が使ってるんだろう」「30〜40代のおじさんかな?」と疑問に思うことがあったのだが、こんなに身近にいたんだって。
20代のファッション感度もカルチャー感度もある程度高い女性だが、ヤフーを使って検索をしている。
そういえば小学校3,4年生だったか、はじめてパソコンを使ってみようという授業があったとき、
最初に開いたページはヤフーではなかったか。
そこから「そうかグーグルの方がシンプルでかっこいいな」「IEよりFirefoxでしょ」「Chromeでしょ」と自分はどっぷりGoogle教に浸かっていったのだが、
そのまま何の疑問もなくヤフーを使い続けている人はきっとたくさんいる。
だって別に全然検索できるし困らないし、あと学校で教えてもらったもので何となくの安心感があるし。
そういう習慣ってもう染み付いているから、「グーグルの方がシンプルでいいじゃん」「Chromeの方が動作が早いんだよ」と言ってもたぶん変わらない。
彼女だってPCからiPhoneにメインの検索デバイスがうつるとき、Safariの検索バーで検索すればGoogleに自然と乗り換えていたかもしれないのに、
わざわざ「ヤフー」と検索してポータルに行っているか、お気に入りから毎度ヤフーに行って検索をしているのだから。
そしてそういった「地元地方インターネットあるある」の話で言うと、LINEのホーム画面って同じ匂いがする。
あれも「誰が使うねん」と思ってたけど、地元の中学時代の同級生だった人たちが、SNSのように日々のつぶやきとか写真を上げていたりしていた。
たまにツムツムの通知(友だち招待でポイントもらえるやつ)や、投稿するとクーポンがもらえるような企業プロモーションに混ざりながら、Twitterにも似ているような、でもクローズドなので明らかに性質は異なるタイムラインがそこにはある。
たぶんヤフーを使っている感覚と近いのかもしれなくて、みんな使っている(いた)という安心感だったり、他に移る面倒臭さから「これでいいや」と使い続ける感覚だったり。
どうやら自分や自分の周りの人たちが見ているインターネットの景色とは、全く違う景色がそこには広がっているような気がする。
さて話は戻ってエグザイルであるが、最近汐留の地下通路では「HiGH&LOW THE BASE」なるイベントが開催されていた。
なんとなくLDHグループのものであること、前に映画でやっていたやつのポップアップショップなのかな、ということぐらいは醸し出す雰囲気から伝わるが、
壁面の写真に映る顔ぶれは一人も分からないし、次の映画やるんだっけ?コレ何のプロモーション?という程度の理解しか持てていない。
それは自分だけでじゃなくて汐留地下通路を通っている多くの会社員もしくは観光客も同じ感覚だったのかもしれない。
それでもそこに、多くの若い女の子たちがわんさか集まっているのだ。
手にたくさんのグッズを抱えて楽しそうに話している彼女たちの様子を遠目から見ながら、「ここって本当に東京なんだっけ?」と思わずにいられなかった。
この人たちは、一体普段どこに住んで何をしている人たちなんだろう。
いわゆるマイルドヤンキーと括らられるような層、地方郊外で地元を大事に生きる若者。
LDHグループを聞いていて、テレビはじめマスメディアも結構見ていて、
インターネットも使うけど基本はスマホで、検索はヤフー、LINEのホーム画面をSNSのタイムラインのような使い方をしている。
そんな人って、 地方郊外に限らず、東京にも結構いるんじゃないか?
話は再び飛んで、ちょうど1年前ぐらいにカメラのフィルムを現像しようと、
近くのショッピングモールまで自転車で行ったことを思い出す。
江東区北砂にあるアリオ北砂という箱型の施設は、だだっ広い通路があり、真っ白な照明のもと、両側にはどの商業施設でも見るブランドロゴが並んでいる。
中央の広大なフードコートには、ファストフード、うどん屋、安っぽい椅子とテーブルが並んでいて、プール帰りのような雰囲気の親子が晩ご飯を食べている。
自分が地元駅前の商業施設で過ごしていた景色とそっくりだった。
その当時はちょうど銀座SIXがオープンした頃で、自分の中では、東京はさすが、スケールが大きい、これは数少ない良いニュースとして世間に受け入れられるのではないかと勝手に盛り上がっていたんだけど、
じつは東京の中に生きていても、銀座SIXってニュースにすらなっていなかった人がたくさんいたんじゃないか。
冒頭、「これからのIT時代の企画出し」について語っているツイートを紹介した。
確かにインターネットに生きていない人は、インターネットの企画出しはできないかもしれない。
でも、インターネットにしか生きていない人には決して出来ない企画は、いくらでもあるんじゃないか。
ここ東京には、銀座SIXもあればアリオ北砂もあるのだ。
そこを無視して時代を一口に語ろうとすることは、それを承知の上で自分はそういう生き方をすると宣言するのでない限り、
つまり自分の周りの人たち、自分が興味のある物事に関することにしか向き合わないのだと覚悟しないのでない限り、
盲目的で時代と乖離している感覚を表明することになってしまう。
時代に対して常に開いた姿勢を持とうとすることは、とても難しいし不可能かもしれないけれど、
閉じた空間にいることを自覚して、自分はひとつのコミュニティの中しか分からない、その外のことは分かりきろうとしても分かりえないのだと、
絶望にも似た謙虚さを抱えていくしかないようだ。