50年前、アポロ11号とわたしの父が打ち上がった
中学2年生だったという父はその日、英語教師が持ち込んだテープレコーダーから流れてくる英語に釘付けになった。
当時の英語の授業と言えば、日本人の英語教師が日本人向けにつくった教材と音声が限界で、そもそもネイティブの英語を聞く機会なんてなかった。
聴こえてきた英語はまさに本物だった。その日から父は英語に生きることになった。
親戚のお兄さんだったかにテープレコーダーをちょうどその頃もらっていて、先生からテープを借りてひたすらに聴き込んだ。ダビングの機能はまだなかった。
ひたすらに聴いて聴いて、一言一句まで覚えたその言葉たちを、今でも父はそらんじることができるらしい。
次の年には、大阪万博に父は意気揚々と「ネイティブ英語ハンティング」に出かけている。
わたしの地元では今でも外国の方と遭遇することは稀だが、その当時は本当に珍しかったようで、
国外からはるばる、なんと大阪にまで、そして大挙して来てくれるなんて願ってもない機会だった。
父の父と母に、祖父と祖母に、英語を話して録音してくるからと直談判し、録音機能付きのテープレコーダーとマイクを買ってもらった。
そのテープレコーダーに抱き合わせでついていた英会話の教本を隅々まで覚え、
片っ端から観光に来た外国人に話しかけては録音しまくった。
どんどん英語にのめり込んでいった父は自分の登下校を二宮金次郎のようだったと話していた。とにかく英語を読んで聴いては話した。
外国語大学に進学し、父は英語の教員となった。
再来年、定年退職となる。
テープレコーダーについていた英会話の教本をつくった先生は、40年以上もECC主催のコンテストで審査員長をつとめている方だった。
4、5年ほど前に父はそのコンテストの審査員になって、真っ先にその先生のところに駆けつけた。
先生の本で勉強して、万博に話しに行っていましたと。
その先生の感想がどうだったのかは、父は話してはいなかった。
今年はアポロ11号が月面着陸してから50年になるらしく、そういえばテレビ番組や書籍などをよく見かける気もする。
父は最近迷いに迷って1ヶ月だけ、という気持ちでスカパーに登録したらしい。ナショジオのアポロ11号特集が見たくて仕方がなかったそうだ。
ナショジオの英語音声がめちゃくちゃかっこよくて、久しぶりに英語を聴いて感動したとか。
スカパーとかの衛星放送は、地上波の録画と違い、1回ダビングすると元のデータが消えてしまう。
1時間の番組を数本録画した父は、CMを丁寧にカットし、何本かまとめてブルーレイディスクに保存版をつくろうとしている。
7本分でちょうどBD1本分になるとか。ちなみにCMを削った番組1本の長さは45分33秒だったとか。
ディスクと言えば父がはじめて買ったレコードは、アポロのドキュメンタリーレコードだったらしい。
50年前のその次の年だったか、近所のレコード屋に足を運んだ父は、3人の宇宙飛行士が写るジャケットを手に悩んでいた。
父の家にあったプレーヤーは小径のもので、今でさえプレーヤー側が小さくでも盤面が載って針さえ降りれば問題ないことは分かるが、
当時の父にはまったく予想のできないことだったらしい。
このレコードを買っても家で聞ける確証はない、でもここで買わないとなくなってしまうだろう。
今そのレコードは父の研究室にあるらしく、遊びに来た学生にたまに見せてあげるらしい。
実家には数百枚ものレコードが大量にあって、その大半はクラシックの演奏を収めたものだったが、
実はクラシックにはまったきっかけは、アポロ11号の録音を聞かせてくれた英語教師の影響だったらしい。
すべては50年前のアポロ11号と一緒にはじまった。
時代が父を英語に向かわせた。そして父はずっと英語を通して時代を見ていた。
たくさんのドキュメンタリーなんかで取り上げられるアポロ11号にまつわる逸話や豆知識や新事実を、
父は自分のことのように嬉しそうに話していた。
ちょっと遅れてしまったけれど、ハッピーバスデー、アポロ11号そしてわたしの父。