言葉のない世界から
ダイアログ・イン・サイレンスにて。
聴覚障害を持つアテンドとの対話のなかで、「生まれて3ヶ月になる赤ちゃんの気持ちがわからないから、アドバイスをちょうだい」という女性がいた。
アテンドの答えは、「そりゃ3ヶ月だったら分かるわけないわよ」というもの。
「赤ちゃんの話なんて分からなくて当然、気にしすぎない方がいい。一応ベビーサインみたいなものもあるけどね」
そう言ってベビーサインを教えてあげていた。
その爽やかなやり取りに、ちょっと涙が出た。
自分たちのグループのアテンドは「まっちゃ」という。
まっちゃんは生まれつき耳が聞こえない。
唇の動きを読み、手話とボディランゲージと筆談を駆使し、自らも少しだけ言葉を発して人とコミュニケーションを取っている。
「買物とかどうするんですか?」という質問に「どうすると思う?」と問い返す。
参加者が思案しながら答える「絵を描く」「指をさす」・・
確かにそれもあるが、今はたとえば
「スマホで画像を見せる」「Siriで音声入力する」ことも多いとか。
(iPhoneと4Gってそれだけでも画期的なんだと思った)
音楽はわからないが、サンバで「スルド」という太鼓を叩いているという。
スルドはポルトガル語でdeafの意。つまり聾者ということだ。
あまりに大きい音が出るので、耳が聞こえづらくなる、というところから来ている。
その太鼓を、まっちゃが叩き始めるところから、サンバのリズムがスタートする。
「最初に叩きはじめるから責任が重くて、ちょっと休んでるのよ」とまっちゃは笑っていた。
毎年浅草のサンバカーニバルに参加しているという。(今年は、ダイアログ・イン・サイレンスがあるからお休みだ)
とにかくあらゆるタイミングで小ネタを挟み続けるまっちゃ。
入り口と出口で待つ案内スタッフも、半ば冗談か本気か分からない呆れ顔。
それでもまっちゃは軽やかに小ボケを繰り出していく。
しゃべらないと死んでしまうのかっていう人ってたまにいるが、それぐらい賑やかしい人だった。
プログラムの最後には、その時感じた気持ちを、表紙も中もまっさらな一冊の文庫本に書き留めることができる。
表紙カバーの色は7色?から選ぶことができ、それぞれの色は「きらきら」「もじもじ」「そよそよ」「ぐるぐる」といった微妙な感情オノマトペと紐付いている。
自分が選んだのは「そよそよ」だった。
あの赤ちゃんとのコミュニケーションに悩む女性と、まっちゃとのやり取り。
彼女はまっちゃの耳が聞こえないということを、じつはほとんど気にしていなかったのではないだろうか。
年齢的にも大先輩であるが、彼女にとっては「言葉が伝わらない中でのコミュニケーション」が上手い先輩として話していた。
それは異文化コミュニケーションといった文脈でも語りきれない、もっと素直で素朴なコミュニケーションのあり方だったのではないか。
そこには気持ちのいい風がそよそよと吹いている。
「伝える」「伝わる」ということに、私たちよりも敏感なまっちゃ。
伝わらなかった経験が恐らくたくさんあったからこそ、伝わったときの喜びも大きくて、
でも多分、そもそも人一倍「伝えたい」という気持ちを持っていて、だから彼女はとってもチャーミングだったんじゃないか。
そして「伝えたさ」は、耳が聞こえても聞こえなくても、目が見えても見なくても、みんな等しくもっているものではないか。
私たちは、言葉がなかったとしても、きっと何かを伝えたくて、
そして幸いにも、それが伝わる、わかり会える同じ人間として、この世界にいる。
そのことを改めて信じたくなった。