メとハ

雑感から世界をつくる試み

わかりあえないことから 平田オリザ

「それに比して、いまの子どもたちは、もはや競争社会には生きていない。」


「表現とは、他者を必要とする。しかし、教室には他者はいない。」

 

●「だから私は、市場原理ともどうにか折り合いをつけながら、この『コミュニケーション問題の顕在化』という事象に向かいあっていきたいと思う。」

 

●対話と会話
「ある集団が、個々人ではどうしようもできない大きな運命に晒されたときに、その成員一人ひとりに、それまで自身も自覚していなかったような価値観、世界観が表出し、それがぶつかりあうことによってドラマは展開していく。これが、近代劇を支える『対話』の原理である。」

 

●「本当に私たちが行っていかなければならない精神の開国は、おそらくこの空虚に耐えるという点にある。コミュニケーションのダブルバインドを乗り越えるというのは、この虚しさに耐えるということだ。」

 

「だが、本当に必要な言語運用能力とは、冗長率を低くすることではなく、それを操作する力ではないか。」

 

「なぜなら、子どもに代表する社会的弱者は、他者に対して、コンテクストでしか物事を伝えられないからだ。」

 

「心からわかりあえないんだよ、すぐには」
「心からわかりあえないんだよ、初めからは」

 

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わかりあえない人がいると知ったのは最近のことだが、
そのわかりあえなさの理由は、世界観の違いにあるようだ。

 

筆者はそれでも「市場原理ともどうにか折り合いをつけて」
「虚しさに耐え」ながら「精神の開国」行っていかなければならない、
と言う。

 

すべての主張を理解できながら、根本で反感を覚えるのは、
「市場原理とは折り合いをつけなければいけないのか」
「虚しさには耐えなければいけないのか」
という疑問が、自分の腹の底に滞留しているから。

 

この(ような)本に、いま自分が求めている示唆は無い。
そのことに気づけたのは良いとして、
では次に何を読むべきなんだろうか?

誕生日は終わる

誰か一人ではなく、人間そのものを愛したいと思う。

ただ一人との愛を通して、人間について知ることはたくさんあって、
この2年間もそういうことは多々あったように思う。

そう感じた時にその感覚を言語化することを怠っていたから、いまその気持ちを詳しく思い出すことはできないが、

たとえば自分のために用意された手づくりのアルバムを見て、自分が愛されていることをひしひしと感じ、
そんな相手とずっと一緒にいたいと思い、いられるような気がする。
子どもができたとして、その子どもを心から愛することができる気がする。


そこで初めて、自分の親の、自分に対する愛情が分かるような気がする。

そこに少し想像力を付け足せば、今まで歴史を続けてきた人間の営みに感動できる。
人間はこんな風に人間を愛し、愛されてきて、ここまでやって来た。
自分もそんな流れを継いでいくのかもしれない。

なんとなく抱いていた夢とか野望を達成できなかったとしても、
その大きな流れの中にいるだけで、安らかに緩慢に死んでいける。


それが幸せな人生というものだと、心から思っていた。

「自分の子どもを愛することができたとき、世界中の子どもを愛することができるようになる」
と誰か偉い人が言っていた。
エーリッヒ・フロムも『愛するということ』(未読)の中でそんなことを言っていたような気もするから、
ある程度の説得力のある考え方なんだと信じている。

 

でも今は、少なくとも今日この瞬間の自分は緩慢な死を良しとできない。
自分の中にある幼い欲望を無視できない。
無責任で自己中心的な、でも根源的な欲求がどこまで行けるのか、
そしてそもそもそれはどこから来たのか、知りたいと思う。

 

結局自分が知りたいことは、人間とは何で、どこから来てどこに向かうのかということだ。
それを、ただ一人の人を愛すること、そしてその先の数億人を愛することではなく、
自分という一人の人間をもっと知っていくことで知りたいのだと思う。
もっと人間を知り、人間を愛したいから。


なぜそういう心境の変化があったのか、自分でもはっきりとは分からない。

親の愛を知り、親に明確に感謝を覚えたから。その上で、親の庇護の下を離れ、いわゆる独り立ちを始めていくから。
なんとなく抱いていた夢に向かうスタートラインに立ったから。そして今のままでは走り出すことさえ叶わないと焦ったから。


そうしたタイミングや環境によるものだと説明することはできないわけではないし、聞かれればそう答えるけれど、
説明することは必要ないとさえ思っている。

 

一貫してずっと人間について考えているのに変わりはないし、
そしてそもそも、人間をすべて説明できるわけがないと思っている。

だからこそ、知りたいと思うのだ。

どうして自分がこんなに変わったのか。このまま一緒に(ゆっくりと)死んでもいいと思える程の相手がいたのに、
そこに満足して安住しなかったのは何故なのか。
一見すると幸せな人生に一旦背を向けて、独りで未知の世界に飛び込もうとしているのは何故なのか。

 

そんなことを一言で説明することは、説明できると思ってしまうのは、あまりにも人間を甘く見てはいないか。
一緒にいることに飽きたから別れる。就職して忙しくなるから別れる。
そんなシンプルな論理で片付けられるほど、人間は単純にできていない、と思いたい。

 

人間を見くびるな。時に不合理で理解のできない行動をする、野性的で無責任な人間を、
簡単に抽象化して見過ごすのではなく、直視して向き合い続けろ。
どうしようもない人間を、まるごとありのまま愛すのだ。

 

これは自分への肯定であると同時に戒めであり、そしてこれからの自分のあり方の宣言だ。

 

誰か一人ではなく、人間そのものを愛したいと思う。
人間そのものを愛せるようになったとき、誰か一人を愛せるようになりたいと信じながら。