メとハ

雑感から世界をつくる試み

趣味の宇宙

「趣味は?」と聞かれると言葉が出てこない。
たとえば山登りを趣味と言う人がいる。
ギター弾きがいて、コーヒーショップ巡りの人がいる。
フェス狂いの人もいれば、読書と言う人もいる。

別にそのどれもが好きであるが、
もしその事柄が他の誰の趣味でもなかったら、自分はそれをしていないだろう。

 

自分の中で「趣味」とは、誰のためでもなく、
誰に見られることもなく、仮に世界にたった一人であっても続けることだ。

そんなものは、自分の中にはありえない。

 

「質問が悪かった、では土日は何をしている?」と聞かれる。
これもまた、言葉に困ることが多い。

月に1、2度はプールで泳ぐ。たまに料理をする。掃除を済ませる。
大学の旧友と昼から飲む日もあれば、
最近仲良くなった人たちとパーティをする。
たまにフェスに行く。女の子と映画を見に行く。写真を撮りに団地に行く。

プールや料理や掃除を除けば、共通しているのは「人と会っている」こと以外ない。
さらに踏み込んで言えば、「誘われて出かける」確率が圧倒的に高い。

 

結局、「誰かに誘われて遊んだり、ご飯食べに行ったりすることが多いかな」と答えた。
趣味は?という問いにも、土日何してる?にも、満足に答えられていない気がして、
慌てて「なんだか面白い人に面白いことに誘ってもらえるんだよ」と付け加えた。

 

スタートアップをはじめた友人がブログを書くから、その文章を見て欲しいと言われた。
アートメディアをつくるから、その編集かなにか手伝った欲しいと言われた。
そうめんパーティに誘われて学芸大学の一軒家まで行った。
静岡までミスチルを見に行こうと言われた。
新代田でデザイナーがブリトー屋を開くから食べに行こうと言われた。

きょうは、大学のサークルの人に誘われて飲み会だ。

 

巻き込まれ上手と言われて半年が経つ。
そう言われてからは、半分意識的に、今まで以上に巻き込まれることにしてきた。
友だちが増えるたびに、「誘われる人」として紹介された。
新しい友だちにまた誘われたりする。
いつから誘われていたのか、もう今では分からないほどに、
ずっと誘ってもらっていた気がする。

圧倒的に他者依存の生き方。
自分の好きなものは、周りの人たちのほうが知っている。
「友だち」が自分の一部を作っている。
自分は周りの人たちの一部でもある。

 

でもそれも、無限の広がりでは無いのかもしれない。
「誘われたら全部行くの?」と聞かれ、
基本的には、と答える。じっさい、最近は断った記憶はあまりない。
それはもう、誘う人に感謝するしかない。
だって行きたくなるものに誘ってくれているのだから。
たぶん、「誘ったら来てくれそうなもの」が、
自分にも周りにも分かりはじめてきたのだろう。

それは、誘われないことも増えてきたということの裏返しなのだ。



このまま浮遊しつづけて、どこかに着地するのだろうか。
足場をつくることに怯えてはいるだけのような気もしている。
根を張る良さを知らないまま生きてきた。
不安定な状態で安定しつづけている。

いつまで、この無責任な生き方が許されるんだろうか。
いつかは自分もみんな、それぞれ地に足をつけて、
差し出す手の数を絞り、手を伸ばす距離を制限し、
あたらしい自分の宇宙を守っていくようになるんだろうか。

 

宇宙と宇宙の間の無重力空間で、誰にも見えない真の黒の中で、

最後にパッと光って消えてしまう覚悟を持てるだろうか。

 

それとも、宇宙と宇宙をつなぐやわらかな橋として、

みんなと繋がりつづけていく媒介になれるだろうか。

その時初めて、「趣味は、誘われることです」と言えるようになるのだろうか。