メとハ

雑感から世界をつくる試み

わかりあえないことから 平田オリザ

「それに比して、いまの子どもたちは、もはや競争社会には生きていない。」


「表現とは、他者を必要とする。しかし、教室には他者はいない。」

 

●「だから私は、市場原理ともどうにか折り合いをつけながら、この『コミュニケーション問題の顕在化』という事象に向かいあっていきたいと思う。」

 

●対話と会話
「ある集団が、個々人ではどうしようもできない大きな運命に晒されたときに、その成員一人ひとりに、それまで自身も自覚していなかったような価値観、世界観が表出し、それがぶつかりあうことによってドラマは展開していく。これが、近代劇を支える『対話』の原理である。」

 

●「本当に私たちが行っていかなければならない精神の開国は、おそらくこの空虚に耐えるという点にある。コミュニケーションのダブルバインドを乗り越えるというのは、この虚しさに耐えるということだ。」

 

「だが、本当に必要な言語運用能力とは、冗長率を低くすることではなく、それを操作する力ではないか。」

 

「なぜなら、子どもに代表する社会的弱者は、他者に対して、コンテクストでしか物事を伝えられないからだ。」

 

「心からわかりあえないんだよ、すぐには」
「心からわかりあえないんだよ、初めからは」

 

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わかりあえない人がいると知ったのは最近のことだが、
そのわかりあえなさの理由は、世界観の違いにあるようだ。

 

筆者はそれでも「市場原理ともどうにか折り合いをつけて」
「虚しさに耐え」ながら「精神の開国」行っていかなければならない、
と言う。

 

すべての主張を理解できながら、根本で反感を覚えるのは、
「市場原理とは折り合いをつけなければいけないのか」
「虚しさには耐えなければいけないのか」
という疑問が、自分の腹の底に滞留しているから。

 

この(ような)本に、いま自分が求めている示唆は無い。
そのことに気づけたのは良いとして、
では次に何を読むべきなんだろうか?